NIHへ行ってきます 2005年12月

NIHへ行ってきます

ワシントンD.C.郊外のBethesdaにあるNational Institutes of Helath (NIH)でのアメリカ研究留学日記。

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ビザ申請

年末の2005年12月28日に行いました。予約は1週間前に行いましたが、一人分しかとれず、HPをみるとやはり二人分の予約が必要とのこと。(幼い子供の分の予約は必要なく、両親が子供の書類を持っていれば、子供本人はビザ申請にも行く必要はありません。)翌日もう一度tryすると、誰かキャンセルしたのか、一人は9:30-、もう一人が10:00から予約することができました。(時間的に余裕はあったので、一人分しかとれなければ延期しようと考えてました。)

当日は子供を妹に預け、9:00数分前に赤坂の米国大使館に到着しました。荷物&パスポートチェックを受けた後、敷地内に入りました。書類に不備がないかチェックをうけ、再度空港にあるような荷物チェック、身体チェックの機械をくぐり抜け、携帯電話を預け館内に入ります(ここまでで20分ほどかかります)。1.2-1.5時間ほど待った後、名前を呼ばれ、二人とも指紋読み取り機で指紋を登録し、再び10分ほど待ちました。(暇つぶしの雑誌などが必要です。館内には米国のNFL及びnewsが、2台の液晶TVでそれぞれ流れていましたが、聞き取れず眠くなり、二人とも実際寝てました。)
とっくにHPでの予約時間は過ぎているので、HPでの予約時間はなくてもよく、午前、午後など大まかに分ければいいのに、、、とか文句を言っていたところ、名前を呼ばれました。我々の家族の書類ファイルには妻の姓についての文句(注意事項?)が英語で書いてあるpost itが張られていたためドキドキしながら面接に望みました。(何と書いてあるかは読み取れませんでした。)ところが、妻の姓についての質問はなく、「アメリカで何をやるか」「どの分野の研究をするか」「何年留学予定か」の3つの質問だけでした。その後、一枚紙を受け取り帰宅です。

結果:2日後には3人分のパスポートが郵送されてきて、妻の姓は勝手に新姓になってました。旧姓だと、米国クレジットカードの名前等々、後々めんどくさいかと内心思っていたのでラッキーでした。後は妻が入国審査で文句を言われないことを密かに祈ってます。

結論:ビザの申請は書類さえそろえれば、当日も訂正出来るしいい加減で大丈夫。きっと遅刻も少しであれば大丈夫です。少なくとも受付時間などチェックしてません。
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ビザ申請書類用意

DS-2019は、結局12月上旬には勤務先に郵送されてきました。(必要書類を送って2ヶ月ぐらい)
気になっていた妻の申請書は旧姓で、パスポートは新姓のため、ビザ申請時には、acceptされないのではないかと思いつつ早速書類の準備に取りかかりました。僕はJ-1、妻と子供がJ-2ビザの申請です。医局に出入りしているMRさんから知り合いのビザ申請代行業者さんを薦められましたが、経験値を上げるため自分ですべて行いました。

1. DS-2019にサイン。いずれの書類も子供がサインできない場合は、代筆しby father (or mother)をサインの後に記載します。僕のDS-2019にだけ、「米国で医療を行いません」と勝手に宣言された証明書がホチキスで追加されていました。

2. お金の振り込み。申請料金は、当時一人12,000円。3人で36,000円です(為替相場により変動します)。それぞれ別々に銀行の「ATMから」振り込むため振り込み手数料も3人分かかります。一度に3人分は許可されないようです。(ただし、3人とも僕の口座から振り込んでも大丈夫でした。HPには本人の口座と明記してあったため、少なくとも妻の領収書はダメと言われる可能性がありました。)
僕はりそな銀行ポイントバンクゴールドメンバーだったため、他行からの振り込料金も全額返金されました。ATM振り込み領収書は、DS-2019書類の裏にそれぞれ糊付けします。申請料金以外に、自分一人分のServis料金がかかりますが、これはHPで打ち込んでいくと、クレジットカードで引き落としてくれます。(Mac OS tiger and Safariでエラーなく入力可能でした。)領収書は、ビザ申請時には必要ないため速達(有料)を選ばないようにして下さい。でも、もしかしたらServis料金はNIHの場合必要ないかもしれません。DS2019と一緒に送られてくる書類にそんなことを書いてある書類があったような気がします。

3. 3人分の顔写真。顔写真ボックスの写真で充分です。どうせビザの写真は白黒のため綺麗にとっても反映されづらいと思います。子供の写真はパスポート申請のものを使いましたが、後ろの椅子は、今度はphotoshopで消してからプリントアウトしました。(結果としてacceptされました。)

4. DS-156, DS-157, DS-158 姓は大文字、名は頭文字以外小文字などのルールは全く守らず作製しましたが、何とも言われませんでした。DS-2019を含め妻の姓は旧姓で作製しました。これでacceptされないともう一度申請料金をはらわなくてはなりません。On line入力のDS-156は、同様にMac OS Safariで入力できました。ただし、DS-157, 158は、Mac Acrobat CSで、PDF fileを開いてプリントアウトしたところ、下の方がプリントされませんでしたが、そのまま使用してしまいました。ちなみに、DS-157, 158はIllustratorを使用せず手書きにしました。この方が一度しか作成しない書類なので絶対に楽なはずです。

5. 上記書類をそれぞれに分け、透明なクリアファイルに入れる。つまり、クリアファイルが3つできます。これも、後学のためMRさんからもらった柄物にしようかとも思ったのですが、ダメだった体験談を読み断念しました。

6.郵便局express pack1つ。3人家族でも同時に申請なら一つでいいです。

書類申請時に、いくつか疑問があったのですが大使館への質問は有料のため、妻の姓も含め、自分で勝手に解釈及び他の留学サイトを参考に、自分勝手に書類を作成しました。
アメリカ・ビザを取ろう!(2000ー2001)

必要書類送付

2006年4月1日から正式に留学することになり、その6ヶ月前10月1日の数日前に、3人からの推薦状(日付を10/1以降にして頂いた)、履歴書、家族のパスポートのコピー及び家族の情報をまとめて、FedexでNIHの研究室に送付しました。子供はまだ生まれて7ヶ月でしたが、自宅のデジカメで写真をとり写真プリンターでプリントアウトしパスポートを申請しました。正面を向かせるために椅子に座らせたため後ろの椅子が少し写っていましたが、無事に許可され無事息子のパスポートが発行されました。
(パスポートは、申請時に本人がいる必要はありませんが、受け取るときは本人が受け取ります。)

NIH研究室の秘書さんに書類を郵送したところ、妻のパスポートのFirst pageが旧姓になっているため、旧姓でいいか?と聞かれ、いい加減に「いいです」と返事をしました。その後に、姓を変更した証明が3ページ目に押してあることを妻に指摘されましたが、何とかなるだろうと、そのまま放置してしまいました。この後のビザの申請に不具合が生じるのではないかと一抹の不安を抱えましたが、、、

医師のための実例英文手紙の書き方増補改訂

待機&ANAマイル

帰国後、来年4月からの留学に向けて準備を始めるのかと思いきや、留学予定の6ヶ月前でよい(というよりも推薦状などの日付が6ヶ月以内でないとNIHでの手続きができないようです。)とのことで、ベセスダからゴールデンウィーク終了時に帰ってきて、留学6ヶ月前の10月までは特にやることはありません。いつも通りの日常生活に戻りました。

この間、なんとか留学時にANAビジネスクラスに乗るためにマイルを懸命にためました。以下が努力した点です。
1.Dinersポイントをマイルへ移行。
2.セゾン永久不滅ポイントをドコモポイントへ移行し、更にドコモポイントをANAマイルへ移行(これは非常に移行率が悪い)。今は、ドコモポイントはマイレージに移行できないようです。
3.Edyを極力使用し、Edyへの入金もパソリを使用。
4.楽天ポイントやネットマイルなどで、こまめにマイルをためる。Drの場合はm3.comのポイントもマイルへ移行できますので、MRさんに聞いてみてください。netmileなどよりは、全然マイルがたまると思います。
5.いくつかのクレジットカードを使用していたが、ほぼANAカードのみを使用することとする。
6.大人数でのみに行く時にはなるべくカードで支払いさせてもらい、高級品や石油などもなるべくショッピングアルファ対応の高島屋や出光などを使用。

まあ、ありきたりですね。でも、いままでマイルなんて全然興味なかった割には急速にマイルをためることができました。

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ベセスダ2日目-4日目

よく寝たせいか、7時には起きてしまい11時から面接の予定でしたが、いくら頑張ってうろうろしていても、10時には研究室に到着してしまいました。約束していたわけではないのですが、10年ぶりに再会する大学の同級生を発見し、空いている1時間で色々NIH敷地内を案内してもらいました。面接の前日に、教授がその知り合いである同級生に、明日日本からDrがくるが何か聞いておくことがあるか?と、聞かれたらしいのですが、食事に行くので大丈夫。と答えておいたよとのこと、かなりリラックスして面接に望みました。

11時に教授室へ伺い、まずはNIHの研究室で行っている研究の紹介をしてくださいました。君は何の研究がやりたいか?と聞かれたので、もともと用意しておいた内容を話し、その後は、もう少し分子生物学的なMethodも習熟するようにとアドバイスをもらいました。留学に関しては、来年の4月からでOKとの事でした。これで一安心です。この後、研究室の見学とスタッフとの挨拶だけでなく、先ほど見学したにも関わらず、NIH敷地内を二人で歩きお昼をご馳走になり、研究室に帰ってきました。結局、1時間以上一緒にいましたが、僕が英語が苦手であることをいち早く判断し、かなりゆっくり話していただいたのでなんとか会話が成立しました。

これで、今回ベセスダでの用事は終了です。この日の夜は、大学の同級生二人の家族と子供、及び就職先大学の同級生の家族と大人数で、Seven sea restrant?という中華料理屋で食事をし、ホテルに帰って熟睡しました。翌日は、ワシントンDCの観光をし、同級生のアパートに泊めてもらい、アパート情報などを聞き、その翌日日本に向けて出国しました。

ベセスダ到着

医局の教授に紹介状を書いていただき、ベセスダへ旅立ちました。ANAに乗る数日前に、医局の先輩からマイルをためるように薦められ、ANAwideカードに入会しました。
(この後実際の渡米までかなりのANAマイルをためることになりました。)

ダレス空港からは、タクシーを使い($25+チップ$5程度)、13時頃、NIH近くのホテル(Holiday inn bethesda)に到着しました。無線LANインターネットが使用可能なホテルだったので、NIHの教授に到着した旨、及び面接はいつにしましょうとメールを出し、NIHまで歩いて散歩および、昼ごはんを食べに出かけました。NIHはあまりに広大な土地で、結局入り口まで歩いてバテテしまい、サンドイッチをレストランで食べた後は時差ぼけでホテルで寝てしまいました。夜、19時頃目が覚めてメールをチェックすると、明日来てください、と、教授からメールが入っていて、まあ気が重いことは早目がいいと考え了解しましたとの返事をしました。

ちょうどこのころ、NTTドコモ、ローミングサービスの携帯電話に、NIH近辺に留学中の勤務先大学の同級生から元気?という電話をもらい、車でホテルに会いに来てくれ、さらにビールやらカップラーメンやらの差し入れを大量に貰いました。19時には外は真っ暗で心細くなっていたところに、見慣れた顔を見て安心するとともに、ドライブに連れて行ってもらいました。ベセスダの街中や繁華街を1時間ぐらいのドライブで楽しみ、だいぶ明日への不安もなくなりました。ドライブ終了後、近くのテイクアウト中華料理を購入し、ビールを飲んで熟睡しました。

渡米

急遽、ベセスダまで渡米することになりました。ゴールデンウィーク中でもあり、飛行機のチケットをとるのが大変でしたが、乗り継ぎ便のUnite AirlineとANAの直行便のチケットの購入が可能な旅行代理店があり、前者は夜中に到着のため、ANA直行便はすごく高かった(24万円ぐらい)のですが今回はANA直行便でダレス空港へ行くことにしました。

ちょうど面接の日程調節をしているころに、今回面接へいく研究室のある先生からメールがありました。なんと、10年間大学を卒業してから会っていなかったのですが、大学の同級生で、現在同研究室にいるらしく面接のうわさを聞いてメールを送ってくれたようでした。同級生によると教授は優しい人なので面接も緊張しなくて全然大丈夫、それよりベセスダで一度食事でもしましょうとの事、更に卒業大学の同級生がNIHの別の研究室にいるので声をかけておくとのことで、2度びっくりしました。見知らぬ土地に一人で行くことに結構緊張していたので、すごくありがたいメールでした。

あとは、英語で面接ができるのか?という不安が残りましたが、今更しょうがないと腹をくくりました。
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面接へ

留学を勧めてくださった助教授と相談したところ、折衷案で来年の春から留学でもいいかどうかをNIHの教授に尋ねることになりました。ドキドキしながら、今年の秋からの予定だったが、臨床のdutyも多く、来年2006年の春からに変更していただけないか?でもどうしても留学したいので、一度そちらに面接へ行きます。とのメールを送信しました。

医局の教授を説得する面接も何回か行ったのですが、結局実際に見てきてから決めるならいいでしょう。とのことで、NIH教授との面接を申し込んだことは吉とでました。

NIHの教授からも、来年の春でもしかたないです。面接でこちらに来るのを楽しみにしていますとのメールをいただき、10日後に面接に行くことになりました。
(実際は、医局の教授、研究指導の助教授、NIHの教授などの根回しはすごく大変でしたが、要約すると上記の経過です。)
それにしても、面接も心の準備ができていないのに、10日後とは。。。早速、飛行機の手配と英会話の勉強を始めました。

大学院を卒業して、そのまま日本学術振興会ポスドクで研究を続けている立場だったので比較的自由にスケジュールの調整がつき幸いでした(臨床医なら面接に行くことは無理だったと思います)。
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メールのやりとり

さて、NIHの研究所の教授は2005年のいつからこれるかとのメール。医局長と相談したところ、秋ぐらいなら人事的に大丈夫とのことだったので、そのようにメールしました。

早速返事が返ってきて、3人からの推薦状、履歴書(CV)、家族全員のパスポートのコピーを送れとのことでした。その旨を、医局の教授に相談したところ、なんと2006年春まではダメとのことでした。それどころか、留学自体にも否定的でとりあえず一度引き下がりました。NIHの教授になんてメールしようとかなり落ち込んだ状態になりました。

先輩と相談し、少し日をおいてもういちど教授にどうしても行きたい旨を説得しようという戦略になりました。

Application letterを送る

医師になって、臨床を5年、大学院に入って4年弱がたち医学博士の学位審査の準備をしていた2005年1月頃から、大学院での研究でお世話になっていた先生に、留学を強く進められました。

それまでは、あまり留学に関しては考えてなかったのですが、毎週のように進められているうちにだんだんその気になってきて、研究留学してみようかなという気分になりました。幸い、2004年11月に結婚した妻も仕事はあるのですが、反対はせず、やりたいようにやるといいとのことでしたので、留学先を見つけることから始めました。

分野は、脳血管障害の研究を盛んに行っている研究室という、なんのしばりもない選び方でしたので、色々候補はありました。自分は、どうせ留学するなら子供の頃からなじみのあるヨーロッパが住むのに面白そうということで、ドイツのMaxPlancのとある研究室の教授にapplication letterを書きましたが、返事がありませんでした。イギリスのGlasgowも考えたのですが、アメリカでもいいか、ということで今度は、暖かく陽気そうなイメージのあるマイアミにある研究室に出しましたがやはり返事がありません。。。ということで、アメリカNIHの研究室にapplication letterを出し、3度目の正直でOKとの返事。ワシントンは寒そうだけど、まあいいかっ。と、このころは(今も)全く研究について考えるのではなく、住んでみると楽しそうなところという観点のみで考えてました。

NIHの研究室は、逆にいつから来れるか?2005年9月頃からでどうだ?と、かなり積極的で、2006年ぐらいから留学したいと考えていただけだし、半年しか時間ないし、子供も生まれそうだし、結婚したばかりだし、教授にも言ってないし、とかなりあせり、これから大変なメールのやりとり及び面接が始まります。

とりあえず。

もう、6ヶ月も前にアメリカ、ワシントンDCから地下鉄で20分?ぐらいのところにあるベセスダという田舎町。そこにそびえたつ、巨大な米国立衛生研究所(NIH; National Institute of Health)に研究留学することが決定してました。

留学準備をするうちに、有用な情報を載せてくださっているサイトを閲覧することが多く、また大変助かりました。僕も、同じようにせっかく留学するので現地の情報を含めて配信したいと思い、Adobe Go Live CSを使い始めたのですが使いこなせず、記憶が薄れないうちにとりあえずブログのお世話になることにしました。

アメリカ

現在の時間 (アメリカには4つの時間帯があり、RockvilleはEastern time)

2008 年度のサマーターム(Daylight saving time)は、
3月9日から11月2日です。

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